昭和54年08月16日 大祈願祭 前講 若先生
只今滞りなく親先生御祭主の元に夏の祈願祭が仕えさせて頂きました。夏は暑い冬は寒いというのは、これは天地の道理でありまして、それこそ夏に涼しいと言う事になれば、それこそ理に反する事に成る訳です。まさにこの暑い事こそ神のお恵みとして、ひとつ今日の御大祭を頂いて頂きたい。それこそ今日の汗のひと滴がもし金銭で困って居られるならば、その汗の一滴が一万円になると思うて下さい。
その汗の一滴がもし身体に病を持って居るならば、身体の毒素取って頂く一滴だと思うてい頂くと、汗をよけいかいた方が得だと言う事になります。他の事で汗を流すんだったらいざ知らず、間違いなく合楽で汗をかいて頂く一滴はその様な事になってくると信じさして頂きます。先日からテレビを見させて頂いとりましたら、大変なこう名場面なんですね、普通なら大変こちらが感動を受ける場面何ですけども。何となく白々しく何の感動もわかないんです。
もう自分ながら自分の心がなさけない位に寂しく思いました。心が枯れると言う事は実に寂しいですね。何が怖いというても、心が枯れると言う程怖いものはないと思うんです。まぁそう言う事がありましたんで字引で、このう枯れると言うじを引いてみました。皆さんご存じの様にきへんに古いと言うですね、もう一つあるんです、サンズイ辺に固いとかいてもこれも涸れると読むんですね。
いわゆる心が年取っておる、だから感動が湧かないんです。心が固い我情我欲で固まっておる、だから有り難い話を聞いても感動的な場面を聞いても感動がない、喜びが湧かないそこで気付かして頂いたんですがね、私しどうでしょうか心が涸れておりませんでしょうか。親先生がいつも仰います様に、この天地の中には私達を幸せにしようと言う働きのリズムが流れておる。
それこそ天地のリズムが、四六時中に叶えられておるんですが、そのリズムに乗らないから、心が何時も涸れるわけです。それじゃ心をいちいちしたいというて、365日ですよ、自分の心をひっかけきれる。それは出来ればいいんですが、そう言う事でもない。3代金光様じゃないけれども、日々がさらと仰る。先日のある会合で、親先生のあの毎日毎日のあのう御理解が、それこそ語っても語っても尽きない、あの御理解はどこから出て来るんだろうか。
これまさに親先生の心のあの日々のさらな心が、あのう毎日毎日の御理解を生みなすだろうと言う事になったわけですけれども。さぁそれで親先生がなら毎日毎日大変な御修行なさって、自分の心を叱咤激励して、あのいちじから生まれてきておるのかというとそうではないんです。それこそ普通の生活営み、普通の夫婦生活を営みながらこの生き生きしたものが涸れない。ここに僕合楽理念の素晴らしさがあると思います。
ただ今から親先生の御教話を頂きますけど、もし私みたいに心が年取ってある方が居られましたら、私のように心がカチカチに固まっておられる方がありましたら、ひとつ心を若返らせて頂きたい。ぼくは子供を見ますと羨ましいんです。一寸したことでもキィキィやって喜ぶでしょう。いわゆる心が若いんです。お互い年取ってないでしょうか。若返えらせて下さい。どうぞ心に潤いを与えて頂いて、親先生の御教話を頂かせて頂きたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。